11.24.16:54
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10.30.11:30
縞模様のパジャマの少年★★★★★
Childhood is measured out by sounds and smells and sights,
before the dark hour of reason grows.
John Betjeman
子供時代とは、分別という暗い世界を知る前に、音と匂いと自分の目で事物を確かめる時代である。
ジョン・ベチェマン
Story
ナチス将校を父親に持つ8歳のブルーノは、ある日、ドイツ郊外に転居することになる。
友達とも別れ、淋しい日々を送っているブルーノだったが、両親に立ち入りを禁止されていた裏の森の奥で、パジャマ姿をした不思議な少年と友達になる。有刺鉄線のフェンス越しで育まれる友情。
ホロコーストの悲劇を無邪気な少年の目から綴った衝撃の感動作!
(正直、予告編とか何も観ないで、予備知識なしで観てほしい一作です!!)
―この映画との出会い
10月2日、禁煙1日目。昼時に親友から一本の電話。
「今日、保育園の運動会と思ってたら来週だった(笑)今何してる?」
コイツには子どもはいない。まだ結婚もしていない。ただ、同年代の友人達の子どもを、まるで自分の子どものようにかわいがるという、良いのか悪いのかよくわからない癖がある。この日も、来年小学校にあがる子どもの保育園最後の運動会のために、張り切ってと家を出てきたらしいのだ。
着いてみたら、保育園はいつも通りの土曜の静けさを保っていて、半ば自分に笑えているようだった。
「はは、朝から静かだなぁって思ってた。来週だったんだ。」と僕は答える。
僕の家の隣は、そいつのいう、保育園がある。保育園に来たということは、僕の家に来たというのに等しい。
ちょうど家には誰もいなかったし、来週に控えた純司の結婚式のことについても話し合いたかったから、行き場を失った親友を収容してあげた。運動会が来週なのが惜しいくらいの天気だったので、庭でコーヒーを飲みながら、やっぱり関係ないことで終始した。土曜の午後はとても静かで、僕らの声はよく響いた。
その会話の中で、そいつが紹介してくれたのが、この『縞模様のパジャマの少年』という映画だった。僕らの涙腺は幼い頃から一緒だ。いや、一緒にいて一緒になったのかもしれない。それほどの時間を2人で過ごした。
フェンスの向こう側の保育園で、幼い頃の僕は育った。
フェンスのこちら側の庭で、今の僕が笑ってる。
なんか変な感じだ。
5歳のときに縄張り争いで出会った近所の男の子が、今僕の前で大声で笑っている。
年を重ねるのも悪くないと思えるのは、こういった瞬間だと、僕は思う。
そういえば、親友のそいつはヘビースモーカーで、僕が禁煙を始めたと言うと大声で笑った。僕の禁煙が1日しかもったことがないことを、そいつは何度も目のあたりにしてきたからだ。親友は一本22円になったタバコを勧めた。普段吸わないメンソール。禁煙が破られるときは、決まっていつもメンソールだったと、今更になってやっと僕は気付いた。
親友は、また笑った。
恨めしく思った気持ちも、この映画を観て、少し安らいだ。
10.08.00:09
きみの友だち★★★★★
私は「みんな」なんて信じない。
本当に大切な人たちさえいればいい―
生涯で忘れられない映画の多くは、多感な思春期の頃にほぼ決定されるものだと思う。
年間100本以上観てきた僕にとって、1本の映画の価値は昔よりも希薄になってきている。
未だに信じられない。
大人になって、これほどまで胸を打たれた作品はない。
もちろん、僕が近年モチーフにしている「思春期の子ども」を題材としていることも、
この映画を決して俯瞰して観れない理由のひとつだけれど。
この映画の最も評価されるべき点は
子ども達のリアルな会話、仕草、心情だと感じる。
とてもナチュラルで、台本や演出を感じさせない。
そこには誰もが交わし、経験し、確かに過ごした時代がある。
大切な友だちを、かけがえのない友だちを、
きっと思い出すはず。
映画『きみの友だち』 Official Sight
↓↓挿入歌:Au Revoir Simone『The Lucky One』↓↓
09.07.06:59
いのちの戦場 アルジェリア1959★★★
フランスもアルジェリアを描かねばならない
ブノワ・マジメル
誰も知らなかった戦争が、そこにはある。
1954年~1962年に及ぶ、フランスに対するアルジェリアの独立戦争だ。
1999年まで、フランスはこの戦争を「戦争」とは認めなかった。国家単位でタブーとされていた真実を、戦争を知らない世代達が真摯に向き合う衝撃作!
そもそも、この映画に僕が出会ったのは運命的だった(と、勝手に思っている)。商業誌用のマンガ構想に入ったとき、僕の頭の中には「戦争」を絡めたアクションマンガがすぐに脳裏を過った。だからといって、その「戦争」をなんの戦争にするのか、主人公の裏設定(生年月日など)に合った戦争はないものか、興味本位で片っ端から探していたところ、この戦争に出会った。しかし、この戦争の記録はほとんどなかった。その一側面を見事に描いたとされる作品が、この『いのちの戦場 アルジェリア1959』であり、僕の貴重な資料の1つとなっている。
この戦争は非常に複雑な関係の中で行われる。世間的に見れば、この戦争は下記の勢力争いとなる。
フランス人(支配者) VS. アルジェリア人(被支配者) |
しかし、この時の「フランス人」のくくりが長い歴史の中で、単に純フランス人を指していないことに大きなパラドックスが生まれるのである。1830年からフランスの植民地となったアルジェリアには、純フランス人達も移り住んでいた(コロンと呼ばれる)し、第2次世界大戦、インドシナ戦争においても、アルジェリア人達はフランス軍として従事し、純フランス人達と共に戦った。いわば、フランスと同化していたのである。
とはいっても、アルジェリア人達の処遇は、純フランス人達に比べると低いものであった。
居住区を並べてみても、純フランス人とアルジェリア人の割合によっては、教育制度や物資流通など、様々な格差がそこには存在した。そして、第2次世界大戦後、相次ぐ世界各国での植民地独立運動の中、アルジェリアもまた、FLN(アルジェリア独立戦線)という革命軍を結成するのである。
しかし、上記の説明を汲んで、勢力図を作ると、異様な構図となる。
フランス軍(フランス人+アルジェリア人) VS. FLN(アルジェリア人) |
そう、アルジェリア人同士が殺し合う構図になるのである。さらに言えば、この間で苦しむ町民はこう入る。
フランス軍(フランス人+アルジェリア人)→町民(アルジェリア人)←FLN(アルジェリア人) |
どっちの味方になるかで拷問を掛けられたり、村中焼きつくされたり、惨殺されたり、と。
無関係な町民が一番の被害者になることになる。
この戦争の義はどこにあるのか。。。
映画『いのちの戦場 アルジェリア1959』はこの悲劇を容赦なくあぶり出している。
アルジェリア戦争を題材にした映画は、57年の市街戦の様子を克明に描いたジッロ・ポンテコルヴォ監督作『アルジェの戦い』(`65)があるが、これはイタリア映画である。フランス人が自身でこの戦争に向き合った映画はこれが初めてだ。
フランス映画なので、ハリウッドのような壮大な戦闘シーンなどはないが、本当に細やかな演出が見事!一小隊の目線ですべてが語られることに賛否両論分かれるが、僕個人的には個が参加する戦争の様相は、決して上空から映し出された大局的な映像ではないと思う。そう考えると、500人の隊よりは20人の隊の中に、個々人の戦争への関わり方は克明に描き出されるのではないかと思う。
エンターテイメントよりは芸術作品として、勝手に★3つ!
ちなみに僕はもう4度くらい観ています。
08.03.02:59
スカイクロラ
戦争を知らない大人たちに捧げよう。
彼らの過ちは、三つある。
子供たちが自分たちから生まれたと信じている。
子供たちより多くを知っていると思い込んでいる。
子供たちがいずれ自分たちと同じものになると願っている。
それら妄想の馬鹿馬鹿しさといったら、
戦争よりも悲惨なのだから。
『スカイ・クロラ』森博嗣/冒頭文より引用
日本テレビ開局55周年記念作品
『スカイ・クロラ』
正直な感想としては、先日紹介したフジテレビ作品『ホッタラケの島』に負けてしまった印象がある。かなりの宣伝だったと思うが、日テレの“真面目さ”とフジテレビの“エンターテイメント”、両局の報道姿勢がそのまま作品テーマに反映され、結果、大衆向けのフジに軍パイが挙がったというところだろうか。
監督に押井守を使用したことも皮肉な結果を招いていると思う。
個人的には好みの演出をしてくれるが、過去の作品を観ても、彼は哲学的過ぎてよくわからないといった感想を持つ人がほとんどだ。小説自体も言い回しは読み易いものの、命題は至って哲学的である。それに合わせてのキャスティングだったのだろうが、小説の中の主人公の心情(心の声)をアニメだと極力(というか、すべて)排除し、肉声のみにしなくてはならない。それでは、余計に観ている方は主人公の心の流れについていけなくなる。これが2つ目の敗因ではないだろうか。
しかしこれはあくまで興業的な評価であり、個人的には森博嗣が描いた小説『スカイ・クロラ』が、現代に生きる僕らに提示してくれたものは先の作品よりも多大だと感じる。
作品の世界観、設定などは上記のビデオに委ねるとして、感銘を受けたのは「子どもと大人、それぞれから見る生と死」、その命題たちだ。以下、小説から引用。映画では語られていない主人公の心情だ。
世の中のほとんどの差は、直接か間接かの違いなのだ。
目覚めたとき、何故いつも同じ世界なのか、不思議でならない。
大人になることを、一つの能力と捉える、
そして、子供のままでいることは、その能力の欠如である、と解釈する。
そういった考え方に立脚すれば、僕たちみたいな子供を見下すことができる。
でも、大人になる、というのは、つまりは老いることであって、
山から下ること、死の谷底へ近づくことではないのか。
どうなんだろう…。
人は本当に死を恐れているのだろうか?
僕はいつもそれを疑わしく思う。僕の両親や、近くにいた大人たち、そして老人たちを見て、
それを考えた。人は死ぬことを恐れているのだろうか?彼らは怯えて生きているのだろうか?
どうも、そんな兆候を僕は発見できないのだ。
子供のままで死んでいくことは、
大人になってから死ぬことと、
どこが違うのだろう?
抵抗することが生命の証なのだ。たとえ、その行為が繰り返し無駄になったとしても。
生きていると信じるには、何かに抵抗するしかない。
人の顔は簡単に殴れるのに、自分の顔は殴れない。
自分のものになった瞬間に、手が出せなくなる。
自分のものは何も壊せなくなる。
僕は、自分を壊せない。
人を壊すことはできても、
自分は壊せない。
彼は大人で、戦争を知らない世代だったのだ。
僕たち子供の気持ちは大人には決してわからない。
理解してもらえない。
理解しようとするほど、遠くなる。
どうしてかっていうと、理解されることが、僕らは嫌なんだ。
だから、理解しようとすること自体、理解していない証拠。
この『スカイ・クロラ』を読んだ後、僕は森作品を2つ読んでいる。これはもう、ハマっているとしか言いようがない(笑)単純だ。なぜ??これは僕がマンガを描いているテーマにとても近しいと感じたから。いわゆる好みなんです、テーマとか、言い回しとか。だから客観的に★も付けられなかったので、もし、上記の言葉に少しでも何か感じたら、是非読んで見てください。映画よりずっといいです。映画観てからでもいいです。
ただ、言っておきますが、爽快感はないですよ(笑)!
『ダウン・ツ・ヘブン』
『フラッタ・リンツ・ライフ』
『クレィドゥ・ザ・スカイ』
『スカイ・クロラ』
機会があったらシリーズ通して読もうと思います。
07.31.23:45
ホッタラケの島★★★★★
絶対観てほしい!
フジテレビ開局50周年記念作品として2009年に公開された『ホッタラケの島~遥と魔法の鏡~』。当初、CGアニメーションで制服を着た少女に、マニアックとかオタクアニメ的な先入観を持っていた僕ですが、いざ観てみると…
★5つ!
よくマンガの評価の指標で下記の項目を使用します。
・ストーリー ・世界観
・キャラ ・絵
そのすべての項目において、高い次元で完成されており、素晴らしいエンターテイメント作品に仕上がっていると思います。個人的にはスタジオジブリ並みの作品だと!
特に、キャラクターの表情の豊かなこと。一昔前のCG作品だと、その微細な感情表現は難しいとされていました。殊、日本においては純Made in JapanのフルCGアニメの成功例がほとんどなかったからです。
しかし、今回のキャラクターの愛らしいこと愛らしいこと!マジでかわいい!!
先日紹介した、『飛ぶ教室』でも指摘しましたが、物語において登場人物の心の変化は欠かせません。物語を通して主人公がどう成長したか、もともと持ってる胸の闇は何によって生まれたか、それを誰が何をもって払拭するのか・・・これが抜けてしまうとどんな素晴らしいエンターテイメント作品に仕上がろうが、なんか安っぽくなってしまう感じがします。
そこをきちんと丁寧に本作品は描いています。やはり、脚本家が優秀なんでしょう。
とにかく、物語の概要やこの作品制作の試みについては下記の紹介ビデオに詳しいので、こちらを参考にしてください。メチャおすすめするので、是非、この夏!DVDで観ることをおすすめします!!
ホッタラケの島~遥と魔法の鏡~⇒公式ホームページ |