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The Ropes~平成の常盤荘~代表三輪亮介のブログです。 ここでは日常で切り取った一枚の写真をもとに 日々の想いなどをつづりたいと思います。
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  • 04/27/18:31

04.15.12:27

けれど空は青

みんなで同じようなことをしても

君ひとりだけ

いつも先生に指をさされていてね
 


みんながサッカーボールを追いかけ始めたとき

君ひとりだけ

トランペットを鳴らしていて


 
みんなでディズニーランドに行ったとき

君ひとりだけ

足の骨を折って行けなかった
 


そういえば

みんなが同じ中学校に上がるときだって

君ひとりだけ

隣町に引っ越してしまったっけ
 


思えばいつも

僕らはみんな 同じ電車に乗っていたけど

君ひとりだけ

途中で降りてしまったり

戻ってくるときはいつも

傷だらけになって乗り込んできた
 


君はいつもどこか

ここではないどこかを目指していて

いつも僕の

11ヶ月先を生きていた
 


そんな君に憧れて

何度も僕は途中下車を繰り返してみた

いろんな場所に行って いろんな人に会って

そうして旅から戻ってみると

僕ひとりだけ

みんなから取り残されてしまっていてね

そんなとき

君ひとりだけ

僕の隣で静かに影を伸ばしてくれたっけな


 
だから僕は 夕暮れが嫌いじゃないんだよ
 




ねぇ 
 


本当は君の影が眩しかったんだよ
 



いいことも わるいことも

「君ひとりだけ」が多すぎて

きっと神様が

何か君に特別に与えているとしか思えないくらい

君は特別な存在


 
時折 足元が覚束なくても

歩いてきたでしょう

自分なりのまっすぐで
 


時折 誰かに裏切られても

それでもまた人を信じて生きているでしょう

自分なりのまっすぐで
 


僕らはいつでも胸を張って生きることは

難しかったかもしれないけれど

胸を張って振り返ることができる

時間があること 道があること
 


それは他の誰にも塗り替えることのできない空

君だけの空 君ひとりだけの空

たとえ長い嵐の夜が君の胸の中にあっても

もしも涙で瞼閉じても

けれど空は 空は青
 


Dear my close friend

Happy Birthday



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03.15.19:17

「1」が「100」になる瞬間

「0」が「1」になる瞬間が好きだ。
 
 
 
僕の毎日は、きっと、見えていないものの方が多い。
 
いや、まだ存在していないものの方が多い。
 
待っていても、誰も現れない。何も始まらない。
 
「0」のまま。
 
 

 
何もないただの「教室」が、小さな「劇場」になる。
 
真っ白な「コピー用紙」が、一遍の「物語」になる。
 
ただの「空き地」に、僕が1本の苗を植える。
 
その、「0」が「1」になる瞬間が好きだ。
 
 


台本に並べられた「文字」が、みんなで声に出すと「言葉」になる。
 
ただの「職場の人」が、信頼する「仲間」になる。
 
ただ過ぎて行く「時間」が、かけがえのない「時間」になる。
 
そしていろんな人が、いろいろな花を植えてくれて、「庭」になる。
 
その「庭」でバーベキューでもしようかと、また人が集まる。
 
たくさんの笑い声が、土曜日に響く。
 
 

その、「1」が「100」になる瞬間がもっと好きだ。

02.21.05:01

3年B組に、いたいのではない。

「人とかかわる」とは、一体どういうことだろうか。


正解はない。


それぞれの定義が存在するし、自分に合った定義に人は集うだろう。

「類は友を呼ぶ」という言葉が、それを端的に表している。

 


「組織」は、わかりやすい形で僕らの前にある。

「野球部」は「野球をする団体」だし、「眼鏡屋」は「メガネを売る団体」だ。

 

一方、目的の見えづらい「組織」というものがある。


たとえば、「学校のクラス」は、「ただ同じ教室になっただけの団体」だ。

体育で野球をすることもあるけど、野球をする団体ではない。

文化祭で演劇をすることもあるけど、誰一人、演劇をするために入ってきた者はいない。

 

しかし、それは時折、他に類を見ない、

とても強い「絆」で結ばれることがある。

その「絆」が一生涯続くことも珍しくないだろう。

なんの共通項も持たない者たちが、果たして何を通して絆を深めるのか。

 

それは、バットで結ばれたのではない。

ましては、売り上げ目標を達成した一体感で結ばれたわけでもない。


彼ら彼女たちが手を繋いだ場所の名前は、


一つ一つの体験の中でさらけ出した「本当の自分自身」と、

それを受け入れて、

本当の自分自身でぶつかってきてくれた相手への、

「絶対的な信頼」と「圧倒的な感謝」だ。

 


その場所を起点とした活動は、最高に楽しい営みとなるはずだ。


コーヒーを沸かして、それぞれ持ち寄ったマグカップでそれを片手に談笑する。


みんなでコンビニに夕飯を買いに行く。

カップラーメンをすする。


絵を描いてみる。

掃除をする。

本を紹介し合う。

年に一度、旅行に行く。


特別ではないものが、特別になる。

憂鬱な強風の1日が、みんなといると特別な1ページになる。



 

僕らに名前はない。


「友だち」「職場の仲間」「サークル」


世間一般に流通している言葉では、包括できないものだ。


「もはや家族みたい」と、大学生1年生の子が言った。

短絡的に選んだのではない。もっとも近しい表現を彼女なりに選んだのだ。


「特別な場所」だと、周囲に認めてもらう必要はまったくない。

「特別な場所」だと、僕らが自分自身で思えることが大切なのだ。



 

3B組に、いたいのではない。

このメンバーと、いたい。



 

なぜ、このメンバーなのか。

選んだわけでもない。

狙ったわけでもない。

ただ、自分のいる場所で出会う人たちと仲良くなりたかっただけだ。

たくさんのいいところを発見して、たくさんのダメなところを言い合った。

 

痛いなぁ。辛いなぁ。ムカつくなぁ。

こんなに「人とかかわる」って面倒くさいのか。


正解はない。




「本当の自分を認めること」だ。




いつでも、そこからだった。

09.05.18:48

波打ち際

03.29.05:40

だって、本当のことだから。

素直に、ドリカムみたいに、

うれしい!たのしい!大好き!と言える。


だって、本当のことだから。


親友が、僕の誕生日をお祝いしたいとのことで、20時に柏駅で待ち合わせをした。
「お店も予約してあるから!」と彼女ばりのハリきりようだった。とはいえ、例年のことなのでいつも通り、来月誕生日を迎える彼のプレゼントを探しながら、高島屋やSOGOで約束の時間までを過ごした。結局、彼へのプレゼントは決まらなかったのだけど・・・(笑)。

2分前に着くと、すでに彼はスタンばっていた。年を追うごとに、お互い集合時間より、早く着くようになる。「こっちこっち」と彼の向かった先は、「サンサン通り」だった。「サンサン通りで飲むようになると、いよいよおっさんだよな」なんて笑いながら、ストリートミュージシャン達の、交錯する歌の中をくぐっていく。

個室を想像していたのだけど、意外にも彼の指先は大衆居酒屋を指した。
「魚が食べたくてさぁ」
ここで違和感を感じるべきだった。

店を開けると、僕の驚きは階段を登るように上がっていくことになる。
まず、店員さんの顔を見て、あれ?
「三輪さん!!」
児童センターミュージカルに参加している子どものお父さんが店長さんのお店であった!(1段目)驚きながら挨拶を交わした後、二階に上がっていく彼の背中を慌ただしく追った。
二階に上がると、目の前に広がったのは、土曜の夜に賑わう人、人、人。団体客用のテーブルの他に、どう見ても2人用の空席は見当たらない。おかしい!(2段目)
うろたえる様子もなく、席と席の狭い通りをぐんぐんと迷いなく進む彼を目で追うと、その長テーブルに見覚えのある顔が・・・。小学校時代の友だちの見慣れた顔が並んでいる!そういうことか!!(3段目)
それにしても人数が多い!!視線を横にスライドしていくと、ホテルオークラ東京ベイで働いている多忙なアイツがいる!!旭市在住のアイツがいる!しかも奥さんと!いつものメンバーの女子!!・・の旦那がいる!!(彼も小学校からの友だち)(4段目)
んん!!!??先生(当時の担任)がいる!!(5段目)

3段目までだったら、ふつーに、「なんだよー!!サプライズ!?なんだよー!!!ふざけんなよぉ!!」と大声出して笑って席に着けたと思うんだけど、5段目までいくと、逆にリアクションができない。絶句。ああ、ドッキリやられている人のアレ(え?何?何が起きてるの?)って、コレか・・・。なんて思いながら、笑い声の中、決まり悪そうにセンター席についた。

しばらくすると、暗転。誕生日ケーキの登場!そこは、よくあるシチュエーションかと思いきや、ケーキをよくよく見ると、明らかにここのお店のケーキではないし、なんだったらこういう居酒屋でケーキサービスは考えづらい。他店からの持ち込みであった!!(6段目)
続けざまに今度は、「目つぶって!」(これは本当に何が起こるか怖い)
目を開くと、対面する人の顔が見えないくらい大きなプレゼント!!(7段目)
デカイ・・・。マズイ。形からするに、これはぬいぐるみではないだろーか。マズイ!非常にマズイ!!こんなデカイぬいぐるみ、正直どこに置けって言うんだ!置けねーよ!ってか、なんでぬいぐるみなんだよ!!ギャグか!?狙ってんのか!?ってことは、これは逆に俺の反応が試されてるってことか!?ハードルたけーよ!!ってか、なんでぬいぐるみなんだよ(2回目)!!
「開けて開けて!」
やべえよ、喜ぶ顔できねーよ!耳あるよー!しかも本格派だよー!!
恐る恐る包装を剥がしていくと(実はこの包装も手作り)、現れたのは、色とりどりの花や蝶が舞うステンドガラスの照明だった(外国からの完全受注販売らしい)!!(8段目)


すべては4ヶ月前から仕込まれていたらしい。
正直、いろんな驚きを超えて、もはや、申し訳なさとか感謝とか超えて、楽しくなってしまった!!この感覚は、小学生が友人を自宅に呼んでの誕生日パーティーだ!!やべぇ、楽しい!!

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若い頃のように「いつも一緒にいるから」来るのではなく、そこには1人1人の「行く」という意志が存在する。

人数ってバカにならない。
数は、そのまま絶対値として様々なパワーを上げる。
100人のデモ行進より、10000人の行進の方が迫力がある。
いつもの5,6人ではなく、住んでいる場所も離れ、仕事も忙しく、既婚者が多くなってきた30代以上が、10人集まることだけでもとてつもなく労力がかかることだ。さらに先生まで駆けつけてくださるなんて。若い頃のように「いつも一緒にいるから」来るのではなく、そこには1人1人の「行く」という意志が存在する。それが10集まった「意志」というのは、若い頃のそれよりも、遥かにその場に臨む姿勢もパワーも違う。圧倒的だ。
それだけで、もう十二分なプレゼントのような気がした。

店長さんのご厚意に甘えさせてもらい、閉店まで騒ぎ通した後、当然のように二次会が開かれた。今日の計画の裏話や、うるさいだけのバカ話は2時過ぎまで続いた。5時から仕事だという男は、酒を一滴も飲まず、プレゼントを僕の家まで車で運んでくれるという。マジか!!(9段目)


笑い声の後ろに、きっと色々な気持ちが交錯している。
乗り越えようとする人、挑戦し続ける人、不安な人、もやもやしている人、今を生きている人、これでいいのかわからない人。そんなの知っている。
同じ教室で、先生の話に耳を傾けていた12歳が、32歳になった。あの頃だって、笑い声の後ろに、きっと色々な気持ちがあったにちがいないけど、それはあくまで個人1人1人の気持ちだった。
今は違う。気持ちを何度もぶつけて、受け止めて、投げ出して、拾って、
またぶつけ合ってきた。
すれ違い、また会う。会っては、すれ違う。そして、また、会う。

他人のことなんて、完全に理解することはできない。
自分のことさえ、完全にはわからないのだから。
そんなの知っている。

だけど、言わずにはいられない。

「大丈夫。わかっているから。」

なんの根拠もない言葉が、不思議と僕らの間では大きな説得力を持つ。
そして、それを口に出すことはない。すべては胸のつぶやきだ。


友情ってむず痒い。嘘くさい。そう感じている人もいるし、僕だってそう思った時期がある。

本物が欲しい。本当のことが知りたい。

人の気持ちに触れることだ。触れるために、自分を触らせることだ。
触らせるために、なるべく裸でいることだ。
あたたかいだろう。恥ずかしいだろう。痛いだろう。
わかるだろう。


誕生日にみんなにこうやって祝ってもらったのなんて、いつぶりだろう。
素直に、ドリカムみたいに、うれしい!たのしい!大好き!と言える。
だって、本当のことだから。