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The Ropes~平成の常盤荘~代表三輪亮介のブログです。 ここでは日常で切り取った一枚の写真をもとに 日々の想いなどをつづりたいと思います。
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  • 04/27/16:27

02.19.05:27

「想いは届いただろうか」

「想いは届いただろうか」


 

いつもそればかり思っている。

他に思うことはない。

 

野田市岩名中学校で毎年行われている、「社会人に学ぶ(中1対象)」の授業に、講師として呼ばれるようになって数年が経つ。

ありがたいとことに、毎年、丁寧に生徒一人一人の「感想文」を添えてお礼状を送ってくださる。

僕にとってその「感想文」が、授業の出来がどうだったかの「答え合わせ」の役割を担っている。語られている言葉が定型文の域を出なければ、残念ながら僕の授業はその子の中に残らなかったのだろう。逆に、語る言葉は持たなくても、その筆跡や字足らずの中に、想いが溢れていることもある。

もっとも多い感想文の形は、僕が投げた言葉の中で、特に印象に残ったものを引用しているものだ。その言葉を聞いた瞬間から、日々の生活に変化があったというものだ。そこには様々な「残響」が見て取れる。


そして、僕は、ちょっと嬉しい音で、手紙をしまう。


想いが届いた音だ。



 

当日の教室を目の前に再現してみる。


投げかける言葉が加速していく。熱を帯びていく。

用意していた言葉を音読しても、伝わらない。

人が話す言葉には血が通っていなくてはならない。

なぜなら、活字を読むだけでは手に入れられない「何か」がそこに在るからだ。


 

彼ら彼女たちの一人も、僕から一時も目を逸らさない。

「届け」「響け」と幾つもボールを投げる。

多すぎても、少なすぎてもいけない。

コーヒーに注ぐミルクみたいに、見合った量を。



 

響き合って、混ざり合う。

空に描かれた雲を見上げながら

僕は、もっと嬉しい音で、自転車を漕ぐ。

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08.29.00:04

夜のわくわくドキドキ体験2013

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楽しい場所を探すんじゃなくて、

楽しい場所を作れる俺たちであろう。

 
8月25日 (日)
児童センターが主催する「夜のわくわくドキドキ体験2013」が無事執り行われた。
青年スタッフが中心となって、企画運営を任されてから、今年で3年目になる。
50人の子ども達を、20人ほどのスタッフで5時間企画を通すのは、かなりハードルが高い。
ましてや、素人がたった3回の全体MTGでクオリティを高めるのは、至難の業だ。
 
知らない人同士が集まって、知らない子ども達を楽しませる。
初対面の子ども同士のコミュニケーションを促進させる。
5時間の中で、子どもにそれを求める。
 
ならば、僕らは3日間の、12時間のMTGの中で、どれくらい近づけただろう。
どれくらい本気で向き合えただろう。
初めて会う子ども同士が、恥ずかしげなく、臆することなく、声を出せる場所を、空気を、果たして、大人の僕ら自身は作り出せているだろうか。
そう考えてみる。
 
いつも子どもを相手にするとき、まず僕はそこを起点に考える。
そして、それをスタッフに投げかける。
すると、前ばかり向いていた視線が、横にいる仲間へとスライドする。
そこが、「はじまり」なのだ。
 
バラバラだった気温は、1人1人の体温が上がることで、ある一定の気温を生み出す。
それらの「熱」が、そのまま僕らの「空気」になる。
 
空気がきれいだと気持ちがいい。気持ちがいいと笑顔になる。
3年目の「空気」は、そこにいる全員の笑顔がはじけ飛ぶくらい、最高に気持ちのいいものになった。
安全面・時間配分・準備万端で完璧だったカレー作り、
子ども達からアンコールが出るほどのゲームの盛り上がり、
固唾を飲んで聞き入っていたオリジナルの怖い話、
時間管理という最大の課題をクリアした肝試し、
はじけんばかりの笑顔と、歓声が、夜の体育館に響き渡った。
 
何よりもうれしかったのは、子ども達の笑顔はもちろん、スタッフの笑顔だった。
それは、一生懸命準備したからこその当日の意気込みであり、達成感であり、
スタッフ1人1人への信頼感があるからこそ分かち合える、喜びだったはずだ。
 
打ち上げの参加率、オールの参加率も、昨年を上回った。
ゆっくりと話をしてみると、僕らはお互いのことをまだ何も知らなかったのだなと、改めて気づかされる。でも、夜が更けていくにつれて、深まっていくスタッフの姿を見て、
ここも「はじまり」なんだとも、思った。
 
楽しい場所を探すんじゃなくて、
楽しい場所を作れる俺たちであろう。
 
いきがっていた昔のセリフを、今の僕で、もう一度言いたくなった。

08.20.23:06

自分のことのように眺める景色があるように

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今年も、「わくドキ」の季節がやってきた。児童センターが主催する、小学生対象の夏の大人気イベント、「夜のわくわくドキドキ体験」だ。若い18〜20代前半のスタッフと、カレー作り・レクリエーション・肝試しなどを一緒にやる。

3年前、職員主導から、企画から運営まで青年スタッフ主導に移行した。
当日だけヘルプで若者が「参加」するのではなく、事前準備から若者が当事者意識を持って「企画・運営」することで、横のつながりを強化し、企画やコミュニケーションの質を底上げすることを狙っている。
実際、去年の出来は最高の仕上がりを見せた。

18日は、その第3回MTGだった。
各班のTTに基づいて、1つ1つ、実際にシミュレートしてみる。
体系移動のスムース化、ルール説明の明瞭化、備品の最適化など、企画の実現性を高める努力を地道に重ねる。

きっと、そんな景色に、人は集まるのだと思う。

誰かが誰かのために、大切な時間を使って、作ってくれたものがある。
それはもう、誰かのものではなく、僕らのものだ。
よりいいものに、より形あるものに、1人でも多くの人が喜んでくれるものにしていこう。
ほめられたらうれしい。ダメだったらくやしい。
それは、それが僕らのものだからだ。

月を見上げたり、夕陽を見送ったり、
自分のことのように眺める景色があるように、
今、隣にいる仲間を見よう。

僕らもまた、誰かが見ている景色の一つだから。
「きれいだ」と言ってもらえるような景色になろう。

きっと、そんな景色に、人は集まるのだと思う。

10.02.12:42

アレクサンダとぜんまいねずみ

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アレクサンダとぜんまいねずみ

今日は児童センターにて、『アレクサンダとぜんまいねずみ』を観に行きました。
大学生の女の子が、卒論として音楽・歌・役者・衣装・美術、すべてを1人で創作したそうです。

概要を言うと、人間に嫌われるネズミのアレクサンダと、人間に愛されるぜんまい仕掛けのブリキのネズミ、ウィリーとの友情物語。対照的な2人が出会うことで、「他人に対する羨望」が、やがて、「自身に対する許容」へと変化していくところが面白みではないでしょうか。

物語はもちろん、彼女の表現力も音楽も本当に素晴らしかったです。
何よりも、一生懸命に物語を伝えようとする姿勢に胸が打たれました。
独りよがりじゃない。ちゃんと、相手を見てる。
すっごい良かったよ!!!おつかれさま!


三次元を得るための、天地に伸びる3つ目の軸

ふと、「卒制」を思い出しました。
卒論というと、僕は大学よりも、やはり専門学校のときの「卒業制作」の方が思い入れが強いです。デザインの専門学校に行っていた僕は、当然ストーリーマンガを描いたわけですが、3カ月間、死ぬほど頑張りました。その“努力できた”という自信が、後に大学進学へのモチベになった気がします。

でも、3年が経つ頃、自分のピークが19歳のときだということに、次第に疑問を持ち始めました。当然ですよね。22歳の自分が、19歳の自分に負けているなんて許せません。だから、23歳でまた死ぬ気でやりました。すると、また25歳になるときに、23歳の自分を超えたくなった。それが三輪組でした。
そして、僕は25歳のピークを「自信」として、社会人になりました。たぶんまだ僕は、それを超えることができないでいる。時間はあの頃も今も、等しく有限でありながら、その中に生きる僕らは、次第に体力を失っていく。同じ定数を与えられても、その中で使える時間は短くなる一方です。
だからきっと、僕らが人生の充実を量るのに、時間軸と努力軸だけの二次元ではきっと足りなくて、三次元を得るための、天地に伸びる3つ目の軸が必要なのだと感じます。

みんなは、それをなんて名付けているのでしょう。

09.09.19:07

反省会ウリャー!!

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今日は午後から、先日の「夜のわくわくドキドキ体験」の反省会。
スタッフ20人に書いてもらったレポートをまとめて、事前資料を作ったんですけど、20人分ってヤバイですね(^_^;)去年は6人分だったのでその感覚が抜けなくてナメてました。

まぁ、でも、20人いると、多種多様の感受性に触れられてすっごい楽しかったです♪
同じ内容なのに選ぶ言葉は全然違う。同じことをしたはずなのに、感触は全然違う。原因を内に見出す人と外に見出す人。もしかしたら僕らは、同じ場所にいても吸っている空気すら違うのかもしれない。そんなふうに思えてくる。

それでも、「同じ場所にいる」。

すごいな。
 
本当にお疲れさま。そして、貴重な日曜日をありがとう。
きっと来年、これが実になる。

満開だ!