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The Ropes~平成の常盤荘~代表三輪亮介のブログです。 ここでは日常で切り取った一枚の写真をもとに 日々の想いなどをつづりたいと思います。
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  • 04/27/20:26

09.27.08:18

ペンギンハイウェイ観ました

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08.15.23:26

風立ちぬ★★★★☆

siberia-kazetachinu.jpg

金曜ロードショーのジブリ特集を見て、無性に胸踊らされ、公開初日に観に行ってしまった。何より、宮崎駿監督が今何を描くのかが、僕にとってとても興味のあることだった。
 
描きたかったのは何か

物語の舞台は、戦争による経済不況、関東大震災など、現在の東日本大震災後の日本と同じような、激流の時代の中に設定されているけれど、この映画はその凄惨さや、悲惨さを描いてはいない。なぜか。
それは、この物語が「主人公の眼から」映し出されているからだ。
あのような困難な時代でも、純粋で、夢を持ち、恋をし、生きることにひたむきであった男がいたということ。その男の眼から見る世界は、決して絶望の色では染まっていなかったということ。この一人の男の生き方こそが、宮崎駿監督が伝えたかったものではないだろうか。
この作品は、今の僕らに「生きる」という命題を、とても静かに提示してくれている。そして、この時代に生きる僕らに、一抹の勇気を灯そうとしたのだと思う。
どの時代でも、意志を持って生きている人がいる。あの時代でも、この時代でも。
 
たどり着いたのは「愛」だった

何よりも僕が個人的に感銘を受けたのは、70を過ぎた宮崎監督が、今描いたものが、「愛」だったということ。年をとると、愛を語るのに慎重になる。物語を書く人であれば、誰しもそうなる。
けど、この作品は、「愛を描こう」という力の入れ方ではなく、人の生きる時間の中にそっと「愛を添えている」。物語の中に当たり前に愛があり、それを力強く見つめている。
それは、70を過ぎた宮崎監督の目から見た愛であり、僕らがいつかたどり着くであろうと予感させる、とても確かな愛だと思うのだ。
 
他にも、2人のただただ歩くシーンに情緒を感じたり、女性客の共感の前に立ち塞がる壁とか、地震のアニメーションとか、色々感じるものはあったけど、総じて言えば、圧巻!・・・違うな。秀逸!・・・違うな。
終幕のあと、幾許かの沈黙のあと、静かに拍手を送りたくなるような、そんな映画!
これだっ!!
ってか、もう、余っ裕の映画なんです!
是非、劇場でご覧ください♪

12.27.00:22

音楽映画3つを比較

音楽を題材にした3つの邦画を見比べ!
 
(1)『BECK』★★
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堤幸彦監督作品。言わずと知れた大ヒット漫画、『BECK』の実写映画。王道の商業映画です。冴えない高校生の主人公が、魅力的なギタリストと出会い、成長していくサクセスストーリー。人気俳優をふんだんに配し、何台ものカメラで撮影、映像加工を効果的に使い、音楽と共にスタイリッシュな画面を生み出しています。堤監督のセンスは、『池袋WGP』以降、日本のメジャーシーンにおいてド真ん中に位置づけられてきました。
ただ、監督自身がテレビディレクター出身のためか、企画物の映画を撮ることが多く、監督自身が作品の起点となることが少ない。そのため、どこか映画全体から(プロモーションから映画製作に至るまで)予定調和を感じずにはいられない。
とはいえ、商業エンターテイメントに特化しているので、家族や友だち、恋人と観るには話題に事欠かない映画だと思います。
 
(2)『前橋ビジュアル系』★
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芥川賞作家の唐十郎を父に持つ、大鶴義丹監督作品。群馬県前橋市を舞台に、ビジュアル系バンドで成功を夢見る農家の若者たちの葛藤を描いている。
低予算ながら、主人公にジャニーズの風間俊介を起用。話題づくりに一役買っている。
物語は『サイタマノラッパー』とほぼ同じ。にも関わらず、この映画がB級映画に格付けされてしまうのは、一重に脚本・演出の力不足という他ない。台詞は記号的でリアリティーがなく、カメラワークは役者の顔を追いすぎていて、空気感、抒情感が損なわれ、ロケーションも全く活かせていない。
役者の演技も頂けない。田舎者やヤンキーの「ノリ」を理解していないため、どこか嘘臭さを感じてしまう。また、前述したようにカメラが表情を追いすぎなので、物語の起伏をすべて役者の顔で説明することになってしまう。結果、役者は顔の演技を誇張することになり、こちらもまたクサイ演技に帰結してしまう。
作品で描きたいものが、「人間」ではなく「物語」に引っ張られてしまった悪い例。
『サイタマノラッパー』とのエンディングを見比べればそれはさらに浮き彫りになる。『サイタマノラッパー』は、バンドを辞めた仲間との討論が決着を迎えないままエンディングを迎えるが、本作品はバンドの解散危機、再結成、成功するまでを描き切る。つまりその分、濃度は薄くなる。『BECK』のような大ヒット漫画が原作であれば、目をつぶる部分もあるのかもしれないが、このような作品の場合、商業映画の勝負の仕方として、あまりうまい戦い方とは言えないと思った。
ばあちゃんちを前橋に持つ僕としては、とても期待して観た映画だっただけに、非常に残念でならない作品。
正直、観なくていいです。 
 
(3)『SR サイタマノラッパー』★★★★★
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入江悠監督作品。映画賞を総なめにした奇跡の低予算作品。
ほぼ無名の役者・監督で作り上げ、シリーズ3まで公開されているロングランヒット作品。物語・設定は『前橋ビジュアル系』とほぼ同じなのにも関わらず、この映画がここまで評価されている理由は、脚本・演出・カメラワーク・役者が一体となって繰り出す圧倒的なリアリティーにある。定点カメラはお手本のような使い方。空気感、情感、間、セリフ、物語の取捨選択、ヒロインの魅力の置き方、すべてが長い時間練り上げられた感がある。
埼玉という、比較的東京に近く、また、だからこそ逃げ場のない土地柄が、そのまま若者たちの抱く得体のしれない閉塞感・不安感を見事に表している。
この作品に多くの言葉はいらないと思う。あとはもう、「観てほしい」の一言だ。

06.22.03:30

マイ・バック・ページ★★★★



若者が世界を変えられると信じていた時代

若きジャーナリストと、革命を目指す活動家との出会いが引き起こした歴史的事件―。
時代は1969年~72年(この時代を切り取った映画は果てしなく多い)。
アポロの月面着陸、安田講堂事件、三島由紀夫の切腹自殺など、激動の時代の中で、若者たちが何を見て、何を感じ、何に翻弄され、何を夢見たのか。「時代」と「若者」が切っても切れない関係であることを、新ためて考えさせてくれる1本だと思う。

僕は昔から、1969年をはじめとする「時代」に強く憧れがある。
周りの年配者たちが、光り輝く月を見つめるように、目を細めて語るあの「時代」に、ある種の嫉妬を抱いてしまう。
自分たちがあの時代を作ったのだと、切り開いたのだと、時代に流されることなく、時代を作ろうとしたのだと、
自分たちはあの時代を生きたのだと、彼らは誇らしげに自負し、今なお、あの「時代」を大切に抱いている。
それはタイトルからも読み取れる。
実際、そうなのだと思うし、そんな先輩方を僕は尊敬している。

今の僕らはどうだろう。

時代に誇りを持てるだろうか。
時代に流されることなく、時代を作っているだろうか。

「時代」を意識して生きている人は、どれくらいいるんだろう。

映画『マイ・バック・ページ』公式オフィシャルサイト

06.19.06:06

半分の月がのぼる空★★★★

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きっと、あの頃を思い出している自分に気付く。

最近、貪るように映画を観ている。こんなに観ているのは専門以来かもしれない。
そんな中で気付いたことがある。やっぱり僕は、邦画が好きだってこと。
独特の空気感や画面の色合い、何より、僕が最も感情移入してしまうのは、青春時代を駆け抜ける若者たちの心情だ。海外生活の経験がない僕は、海外の若者たちを取り巻く環境や、それに対する不満や葛藤にうまく共感できないのだと思う。それよりは、やっぱり学生服の中に管理教育を感じるし、田舎に住む人が憧れる東京や、親に抱く反抗心の方が馴染み深い。
この映画も、まさに青春の匂いがぷんぷんした。
あ、この空気覚えてる、とか、
あ、こんなことあったな、とか、
そして、きっと画面の中の彼らのように、あの頃を思い出している自分に気付く。

最後は涙が止まらなかった。

きっと昔じゃ泣かなかった。

自分と重なるのは、もう、子どもだけじゃない。

映画『半分の月がのぼる空』シネマトゥディ