07.20.03:40
[PR]
09.06.12:26
「人に興味を持つ」
「夜のわくわくドキドキ体験」無事終了!

8月21日(日)柏市豊四季台児童センターにて、青年スタッフPresents、「夜のわくわくドキドキ体験」が無事終了しました。僕は途中参加だったので、全然役に立てなかったのですが、子ども達の本当に楽しそうな顔がこの企画の成功を物語っていた気がします。(上記写真はカレー作りの様子)
この企画は例年、児童センターが主催・運営していましたが、今年はできるだけ青年スタッフ、つまり大学生に運営経験をしてもらおうという、もう一つの目的がありました。打ち上げにもたくさんの人が参加してくれて本当に楽しかった!!みんな、ありがとう!

9月4日(日)に改めて反省会を行い、これで本当に企画を終えることができたような気がします。
大学生たちの意識の高さには改めて驚きます。
「ボランティア」って括りを、僕自身は意識したことないし、今までも子どもとかかわるということは、あくまで自分の遊びの延長でしかなかった。公園でサッカーしていたら、近くの子どもと仲良くなった!みたいな。
でも、スタッフの感想を見てみると、「普段、子どもとかかわる機会がなかなかなくて・・・」「自分が親になったときに…」「将来の就きたい職業のために…」というものがかなり多く見受けられました。
正直、僕なんかより数段高い意識で参加してくれているんだな~って思いました。
僕は大学時代、サークルが忙しかったので、こうやって他大学の学生たちと関わる機会がなかったんです。だから今になって、自分と違う環境で生活を送る大学生が、どんな思いで生きているのか、すごい興味があるし、新鮮。各々描くものは違うかもしれないけど、縁あってこうやって出会えたのだから、お互いに刺激を受け合ってほしいなと思います。もちろん、僕も。
人に興味を持つ
人って、年齢を重ねるごとに、志向性がまったく違う人間を、どうしても遠ざけてしまう。
それは中学から高校、大学・短大・専門、就職と、選択し前進すること自体が、そういった意味を含んでいるから。高校を卒業してしまえば、図らずとも自分と似たような人間がたくさんいる環境になっている。
その世界は心地良い、そうまでいかなくても、さしたるストレスもない。それが個人の価値観を形成するスタンダードな下地となる。
だけど、それってたぶん結果的に自分で自分の世界を狭めていってしまっている。もったいない。
もっと、自分と全然違う世界で生きている他人の価値観と、自分の価値観をぶつけ合い、比較していい。
コミュニティに属するなという意味ではなくて、許容範囲を広げようということ。
「人に興味を持つ」ってこと。
僕は、人を線引きするほど、人を知らない。
だからなるべく、他人と向き合うときは、心を開いておくように。
そして、理解しようと努めたい。
学生時代から言い続けていること。
今の僕はできているだろうか・・・。
8月21日(日)柏市豊四季台児童センターにて、青年スタッフPresents、「夜のわくわくドキドキ体験」が無事終了しました。僕は途中参加だったので、全然役に立てなかったのですが、子ども達の本当に楽しそうな顔がこの企画の成功を物語っていた気がします。(上記写真はカレー作りの様子)
この企画は例年、児童センターが主催・運営していましたが、今年はできるだけ青年スタッフ、つまり大学生に運営経験をしてもらおうという、もう一つの目的がありました。打ち上げにもたくさんの人が参加してくれて本当に楽しかった!!みんな、ありがとう!
9月4日(日)に改めて反省会を行い、これで本当に企画を終えることができたような気がします。
大学生たちの意識の高さには改めて驚きます。
「ボランティア」って括りを、僕自身は意識したことないし、今までも子どもとかかわるということは、あくまで自分の遊びの延長でしかなかった。公園でサッカーしていたら、近くの子どもと仲良くなった!みたいな。
でも、スタッフの感想を見てみると、「普段、子どもとかかわる機会がなかなかなくて・・・」「自分が親になったときに…」「将来の就きたい職業のために…」というものがかなり多く見受けられました。
正直、僕なんかより数段高い意識で参加してくれているんだな~って思いました。
僕は大学時代、サークルが忙しかったので、こうやって他大学の学生たちと関わる機会がなかったんです。だから今になって、自分と違う環境で生活を送る大学生が、どんな思いで生きているのか、すごい興味があるし、新鮮。各々描くものは違うかもしれないけど、縁あってこうやって出会えたのだから、お互いに刺激を受け合ってほしいなと思います。もちろん、僕も。
人に興味を持つ
人って、年齢を重ねるごとに、志向性がまったく違う人間を、どうしても遠ざけてしまう。
それは中学から高校、大学・短大・専門、就職と、選択し前進すること自体が、そういった意味を含んでいるから。高校を卒業してしまえば、図らずとも自分と似たような人間がたくさんいる環境になっている。
その世界は心地良い、そうまでいかなくても、さしたるストレスもない。それが個人の価値観を形成するスタンダードな下地となる。
だけど、それってたぶん結果的に自分で自分の世界を狭めていってしまっている。もったいない。
もっと、自分と全然違う世界で生きている他人の価値観と、自分の価値観をぶつけ合い、比較していい。
コミュニティに属するなという意味ではなくて、許容範囲を広げようということ。
「人に興味を持つ」ってこと。
僕は、人を線引きするほど、人を知らない。
だからなるべく、他人と向き合うときは、心を開いておくように。
そして、理解しようと努めたい。
学生時代から言い続けていること。
今の僕はできているだろうか・・・。
PR
08.28.13:01
鮒屋くんとの珍道記 2011夏
鮒屋くんとの珍道記
2011年8月27日(日)
前日の26日深夜、新宿で会社時代の同期と飲んだ後、日を跨いでそのまま大学時代の親友・鮒屋くんと長野へ向かいました。別に特段どこかへ目的地があったわけでもなく、なんとなく諏訪湖へ。
着いたのは、午前7時。
鮒屋くん「あ~、気持ちいい~」
鮒屋くんは疲れていたようで、ソッコーでベンチに寝転がります。
諏訪湖の周りは、朝のランニングをしている人で賑わっていました。自慢のお腹を出して大サービス。
さすが、鮒屋くん。地球のどの場所でも、自分にとってはホームだと信じ込んでいるようです。
鮒屋くん「あ~、マジ解放感~」
ペロリンパッ♪
三輪「いや、解放しすぎだろ!!」
と、激しく心の中で突っ込みながらも、鮒屋くんのその美しいフォルムに思わず見とれてしまう僕。
公園の水道で歯を磨き、車内で仮眠。起きて、
昼飯→温泉→昼寝→夕飯か、
温泉→昼飯→昼寝→夕飯かで30分ほど白熱した議論をすると、時刻は09時30分。
とりあえず、「昼飯」を食べに行こうと、車を発進。駐車場を抜けて行くと、隣接していた体育館に異常な反応を示す鮒屋くん!マジ、前見て運転しろよ!と心の中で罵倒しながら、鮒屋くんの視線を追うと…
鮒屋くん「ちょっと、見てっていい!?」
断っておくが、この大会がどんな大会で、一体どんな人たちが参加しているのか、勿論鮒屋くんは知らない。ただ、「バドミントン」という単語だけで、見知らぬ土地の体育館の、見知らぬ大会会場に足を踏み入れようとしているのだ。身体も太っているけど、神経も図太すぎるぜ!鮒屋くん!!
会場に入ってみると、中は独特の熱気に満ち溢れていました。
●平成23(2011)年度第32回北信越国民体育大会バドミントン競技
鮒屋くん「あ~、なんかウズウズしてきた~」
鮒屋くんは、かなり興奮気味。
まったく信じられないかもしれないが、鮒屋くんは元バドミントン部だ。現在約94kgある体重も、当時は50kg台だったと言う。激しく打ち合う選手たち、逞しくしなやかな筋肉、僕自身、バドミントンの試合をこんな間近で観たのは初めてだったが、素人目から見ても、確かに選手たちは格好いい。
それを、僕の隣にいる巨漢が、さも自分もその一員ですと言っているのだから、ちゃんちゃらおかしい。いや、頑張っている選手たちに謝ってほしい。
男女ダブルス、シングルの試合を十分に堪能すると、時刻を見ると、もう正午に近い。
一体、僕たちは、長野まで何をしに来たのか…。
変に笑えてきたけど、目的のない旅は、こんなんだから楽しい。
外に出てみると、さっきまでの曇天がウソのような晴天。
テンションが俄然上がったところで、昼飯は「うなぎ」を食べようということに。近くのコンビニで雑誌を開いて、店を決めて、いざ出発!目的地は…
「うなぎ 小林」!!
●信州上諏訪 うなぎ 小林
さすが雑誌に載るだけあって、人気があるのか、駐車場は満杯。
客層を観察してみると、富裕層が多いようだ。隣の鮒屋くんの服装を足元から頭までスキャンしてみる。
視線に気付いて微笑む鮒屋くん。まったく苦笑だぜ!
店の前で奥さんを撮影している紳士に、「あ、僕、撮りますよ」と声をかける。
カシャリ。
気品があって、物腰柔らかな、素敵な夫婦だ。着ているものも上等だ。
もう一度、鮒屋くんを一瞥する。彼は寝巻だ。まったく苦笑。
30分以上は待ったでしょうか。その間、店の前の田んぼを飛び交う「イナゴ」について盛り上がる。
結局、イナゴは昔こそ食用として重宝されたが、現代においては稲作の害虫だ!という結論に落ち着いたところで、店内へ。
メニューは、いろいろあったようだけど、とりあえず一番高くて、量のあるものを!
特々重 2980円!!
店員「相席でもよろしいですか?」
僕らの隣に、先ほどのれんの前で記念撮影をしていたご夫婦が座る。
「あ、さきほどはどうも」
話を伺うと、千葉の市川で社長を務めているという。やっぱり、社長ご夫妻でしたか!
とはいえ、ものすごく気さくな方達で終始笑いっぱなしの、ものすごく楽しい食事になりました!!
縁は異なもの、味なもの。
お腹もいっぱいになたところで、お次は…
玉宮温泉 望岳の湯へ!!
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
さ、さて…!!
温泉を出てひと眠りすると、時刻は18時30分。
最後のお楽しみ!ほうとうを食べに行こうと、帰り道に甲府に寄りました。
甲州ほうとう 小作!!
ちゃんこほうとう 1600円
猪肉ほうとう 2000円
もちろん、「猪肉ほうとう」が鮒屋くんオーダーだってことは、言うまでもない。
関連サイト
・平成23(2011)年度第32回北信越国民体育大会バドミントン競技
・信州上諏訪 うなぎ 小林
・玉宮温泉 望岳の湯
・甲州ほうとう 小作
08.22.23:02
COMITIA97終了!
(COMITIA97、開場前のブースにて)
8月21日(日)はCOMITIA97のイベントでした。
雨のせいか、いつもよりお客さんも少なかったように思えました。
ちょうど僕らのサークルは、今回でちょうど祝・2周年。
うれしかったのは、以前寄ってくれたお客さんで、そのときはご購入まで頂けなかったのですが、今回改めてご購入頂けたことだったり、常連のお客さんが少し増えてきたり、出版社の方々にうれしいお言葉をかけて頂いたり…。とにかく、感謝、感謝!新刊売上も、少しですが過去の記録を更新しました。
少しは成長できているのかな。
あ、今回からポスタースタンドを用意したので、キレイにポスターを飾れたのもうれしかったなぁ~。
関連記事
・COMITIA97告知
08.17.00:03
耳をすませば★★★★★
色あせない、勇気の出る映画
ジブリの中で一番好きな映画は?と聞かれたら、僕はこの作品を答えることにしています。
理由は、完成度が高いからとかじゃなくて、単純に、思い入れが深いから。
当時、95年、中学一年生の僕は、この作品を観るために、劇場まで足を運びました。CMで流れた「好きな人が、できました」に触発されたからです。思春期という多感な時期に、多分に漏れず僕も恋をしていたわけで…、自転車の後ろで、好きな人の背中に、幸せそうにおでこを付ける女の子の姿に、自分の好きな女の子の姿を重ねてしまいました。「あ~、俺もこんなこと言われて~!」みたいな…(-o-)
しかし、いざ映画を観てみると、僕が主人公の雫に重ねたのは、他でもない、自分自身でした。
小説家を漠然と夢見る雫は、バイオリン職人の夢を着実に歩む清司に憧れながら、一方で自分を省みては情けなくなり、焦燥し、空回り、それでも四苦八苦しながらも、一つの作品を生み落とします。
その姿は、当時、漠然とマンガ家を夢見る僕に、溢れんばかりの勇気を与えてくれました。
屋上での雫の涙。
図書館の机に積まれた沢山の本。
徹夜明けの小鳥のさえずり。
そのどれもが輝いて見えて、キラキラしていました。
雫さんのきり出したばかりの原石をしっかり見せてもらいました。
よくがんばりましたね、あなたは素敵です。
あわてることはない。
時間をかけてしっかり磨いてください。
よくがんばりましたね、あなたは素敵です。
あわてることはない。
時間をかけてしっかり磨いてください。
ちなみに、この映画の原作者・柊あおい先生が、僕が幼い頃、人生で初めて読んだマンガ、『星の瞳のシルエット』の作者だとはこの時は知る由もありませんでした。勝手に運命を感じた僕は、その後、高校生になってから柊あおい先生の作品をすべて買うことになります。
ただ、書店で男性が少女マンガを買うことは、半端なく恥ずかしいということを知るのでした~(+o+)クエッ
08.16.00:59
じいちゃん
(撮影:群馬県亀里町2011.08.15)
景色はまだ変わらない。
若い稲たちは、互いの背を揃えて生きている。
風に吹かれたとき、等しく寄りかかれるように。
生まれるときも、死ぬときも、彼らは一緒だから。
僕らの影は長短で歪だった。
道沿いに流れるこの土手で、笹の葉で作った船を一緒に追いかけた。
すぐに止まってしまうものだから、樹の枝で何度も軌道を直してくれた。
赤城山に咲く花火はここからだと、とても小さかった。
小さな浴衣を着た僕に、小さな花火を道端で咲かせてくれたこともあった。
正月になると、お気に入りのアニメキャラの凧は、一人じゃ飛ばせなかった。
じっとじっと待って、空へ飛んだら、急いで糸を握りしめた。
それは、すぐに落ちてしまうのだけれど。
一瞬の泳ぎを、2人は笑って眺めていた。
そう、一瞬。
僕らは僅かにズレながら生きている。
共に息を吸う時間は、ほんの一瞬。
しかし、その一瞬が永遠ともいえる。
景色はまだ変わらない。
夕日に伸びる影が、1つ欠けた今でも。
短かった方の影が、長くなった今でも。
いつか増えるだろう。
いつか消えるだろう。
いつか伸びるだろう。
いつか、変わり果てるだろう。
それでも、景色はまだ変わらない。
それが一瞬だったともしても、
それは永遠なのだ。