11.25.14:15
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08.16.18:18
30歳の答え合わせ
ずいぶん長いあいだ、文字を書かなかった。
いろんなことがあったし、いろいろな人に会ったのだけれど、
そこで感じたものを誰かに伝えるには、共感が得難いものばかりだった。
30歳になって変わったことを、書こう。
時を超えて、同じ場所に辿り着く人がいるということ。
僕はよく直感で動いているように見られがちだけど、どちらかと言えば、論理的で合理的な方で、表向きは最大公約数の評価を求めて生きてきた気がする。
先天的に持ち得なかったものは、努力で補ってきたし、コミュニティーの中での評価項目に関してはかなり意欲的に取り組んできた。
しかし、一方で、局地的にマイノリティーなものが、大局的に見ればメジャーなものになり得るということも、かなり幼い頃から理解していた。それは普遍的な美感と、流動的な美感に対してもそうだ。
それらの見通しを持って、最大公約数の評価を求めたかというと、そうではない。
ある「景色」が僕にはぼんやり見えていて、その景色へ近づくための決断は、必ずしも、最大公約数の評価とイコールで結ばれるものではなかった。そしてその選択と決断は、論理的で合理的なものとは程遠い、かなり直感力に依拠したものだった。
なりたい大人像というものが、僕にはいつからか「景色」のようにぼんやりと見えていて、それは人生設計とはまた違っていて、口語的に言えば、主に人間の所作に表出する、「存在感」や「オーラ」と呼ばれるものに近しかったように思う。
このように、今の自分は、およそ10歳のときから、とても意識的に意図的にデザインしてきた20年の結果だと言える。表向きは他人からの相対評価を気にしつつも、裏では自分自身の絶対評価でたどり着いた「眼」を持つことになったのだ。
30歳になって、そのぼんやりとした景色は、僕の「眼」の中で確かな輪郭を持ち始めた。
そして、心のどこかで僕は「やっぱりこの景色だった」という妙な納得をしてしまっている。それは、ずいぶん前から感じている「予感」によるものだ。
自分の意志で決めたことも、努力で積み上げてきたものも、もしかしたら、すべては前から決まっていたのではないか。強い何かに引っ張られるように。そんな気さえしてくる。
もちろん、その「景色」の価値は、自分自身にしかわからないもので、他人にわかってもらわなくたっていいと思っていた。下手をしたら、その「景色」を、見ることもできない人だっているだろう。
そう、2つ必要なのだ。
景色を見ることのできる「眼」と、その景色を美しいと感じることのできる「心」。
だから、この先も、これを誰かと共有することはないと思っていた。
しかし、時を超えて同じ場所にたどり着いた奴がいた。
そいつは、僕とは正反対の道を歩いてきた。最大公約数の評価なんか全く気にすることもなく、道行く中で遭遇するほとんどのことを、自分を起点に考え、選択と決断をすべて「直感」に頼ってきた奴だ。
演繹的に見れば、そのプロセスは非論理的で非合理的なものばかりなのに、幾つかの結論から帰納的に見れば、それは一本のロジックが通っていることがわかる。しかし、そのロジックは世間一般に流通しているものではなく、あくまで一個人の経験則から来る、一個人の私的ロジックとしか言い様がない。
それを支えているのは、直感による選択と決断の速さが生み出した、膨大な経験値に他ならない。同年代と比較すると、かなり多くの実験データをそいつは保有しているだろう。
その膨大な失敗と成功の積み重ねが、その直感力をより鋭利に研ぎ澄まし、また、精度を上げたその力に対する信頼を、ますます確かなものにしていった。
そこで育まれた能力の一つが、物事を判別する「眼」だろう。
そして、その「眼」によってはじき出された多くの答えの傾向から、経験的にそいつは、何が「美しい」かを知ったのだ。いや、正確に言うならば、予感していたものに確信を得たと言った方がいいだろうか。
30歳になったとき、そいつはその「景色」を見ることのできる「眼」を持っていた。
そして、その景色を2人とも「きれいだ」と思ったのだ。
あのとき僕らは、確かに反対方向に歩いて行った。
別々の道を歩いたはずだ。あまりにも違うものを見てきたし、触れてきたはずだ。
感じたものさえ違かったろう。それは順番であり、種類であり、大きさであり、そのときそのときの答えだった。でも、すべてが配合されて出来上がったものは、信じがたいことだが、限りなく同質に近いものだった。
たどり着いた場所は、同じ山の、同じ山頂だった。
僕らは、「きれいだ」と、ほぼ同時に呟いたのだ。
そして、僕らは滔々とその理由を話し始めた。
互いが見てきた景色や、触れてきたもの、出会いと別れ…。
このように、
僕の30歳は、ひとつの答え合わせから始まっている。
08.23.01:20
『C-46』じゃなくて、『C-60』
色んなことを知った今、
僕らが考える「永遠」とは、あのときの「永遠」とは違う。
以前、「断捨利」の影響で部屋を片付けたとき、何本かのカセットテープを見つけた。大切なものが入っていた気がして、なんだか捨てられなかった。かと言って、再生する肝心のラジカセは壊れてしまっていたので、結局、どうしようもないまま、そのまま引出しの奥に閉まっておいた。
それが、デスクを買い替えた関係で、収納する場所がなくなってしまったので、いよいよ友だちに預けてデータ化して送ってもらった。
少しワクワクしながら、半ばドキドキしながら、パソコンにイヤホンを繋いでみる。
ヘタクソなアコギ、高い声、ハズれる音程、テープ独特の雑音。そこには、10代の頃、僕が覚えたてのギターで、夢中になって作った曲たちが、実に23曲も収録されていた。友だちと一緒に歌っている曲もある。1人で聞いていても、時折、鳥肌が立つくらい恥ずかしかった。
でも、それ以上にすごいなと思ったのは、曲を聞いていると、その録音しているときの光景が鮮明に蘇ってくることだった。中には、バックに蝉の声が入っているものもあった。あのとき、あの公園で録音したものだ。
10年…。10年が経っている。
変わらないわけがない。でも、あのときは本気で「永遠」なんて言葉を信じていた。
「色んなことを知っちゃうとダメだよ」と、あの頃、友だちの一人が言った。
そうかもしれない。色んなことを知った今、僕らが考える「永遠」とは、あのときの「永遠」とは違う。
けど、それを信じるか、信じないかは、今の僕たち次第ではないだろうか。
こうも思う。
このタイミングで10年前の僕の声が、10年後の今の僕に届いたことに、意味があるんじゃないだろうか。
無知で、無恥なまま紡いだ言葉たち。
今の僕なら、どんな言葉を紡ぐだろう。
03.12.03:20
29
三輪組の鮒屋くんに誕生日を祝ってもらいました。
さすが、鮒屋くん!太っ腹!!本当の太っ腹!!
FB、メール、手紙、ポッキー、せんべい。
たくさんの人にお祝いの言葉を頂きました。
僕なんかのために、本当に、ありがとうございます<m(__)m>
同じ誕生日の、三輪組の浮田くんが言いました。
「まぁ今日は自分達を祝うよりもまずは海に向かって黙祷したいと思います。」
今日のミュージカルの練習でも、みんなで黙祷を捧げました。
1年経って、思うことを大切にしよう。
大切なことを忘れずに、今を、一生懸命生きよう。
01.01.15:59
「お元気ですか?」
反対に、ものすごく大変で苦労の多い年だったと零す人もいた。それでも、静かに今年への決意を固めた顔に、最後は僕が励まされてしまう。
この1つの1年は、1つじゃないんだよなって思う。
葉書には、今の彼や彼女たちの一欠片しか写し出されていない。すべてを伝え合えるほど、スペースは許されてはいない。
でも、それで充分なのかもしれない。
1枚の葉書をゆっくりと眺めながら、その人に想いを馳せる。その時間が、きっとお互いの言葉になっていない部分を埋めていくような気がする。
ふと、会いたくなる。
一周した思考のあと、自然とペンが書き出す「お元気ですか?」の常套句が、最近の僕はとても気に入っている。
08.16.00:59
じいちゃん
景色はまだ変わらない。
若い稲たちは、互いの背を揃えて生きている。
風に吹かれたとき、等しく寄りかかれるように。
生まれるときも、死ぬときも、彼らは一緒だから。
僕らの影は長短で歪だった。
道沿いに流れるこの土手で、笹の葉で作った船を一緒に追いかけた。
すぐに止まってしまうものだから、樹の枝で何度も軌道を直してくれた。
赤城山に咲く花火はここからだと、とても小さかった。
小さな浴衣を着た僕に、小さな花火を道端で咲かせてくれたこともあった。
正月になると、お気に入りのアニメキャラの凧は、一人じゃ飛ばせなかった。
じっとじっと待って、空へ飛んだら、急いで糸を握りしめた。
それは、すぐに落ちてしまうのだけれど。
一瞬の泳ぎを、2人は笑って眺めていた。
そう、一瞬。
僕らは僅かにズレながら生きている。
共に息を吸う時間は、ほんの一瞬。
しかし、その一瞬が永遠ともいえる。
景色はまだ変わらない。
夕日に伸びる影が、1つ欠けた今でも。
短かった方の影が、長くなった今でも。
いつか増えるだろう。
いつか消えるだろう。
いつか伸びるだろう。
いつか、変わり果てるだろう。
それでも、景色はまだ変わらない。
それが一瞬だったともしても、
それは永遠なのだ。