11.22.07:43
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02.21.05:01
3年B組に、いたいのではない。
「人とかかわる」とは、一体どういうことだろうか。
正解はない。
それぞれの定義が存在するし、自分に合った定義に人は集うだろう。
「類は友を呼ぶ」という言葉が、それを端的に表している。
「組織」は、わかりやすい形で僕らの前にある。
「野球部」は「野球をする団体」だし、「眼鏡屋」は「メガネを売る団体」だ。
一方、目的の見えづらい「組織」というものがある。
たとえば、「学校のクラス」は、「ただ同じ教室になっただけの団体」だ。
体育で野球をすることもあるけど、野球をする団体ではない。
文化祭で演劇をすることもあるけど、誰一人、演劇をするために入ってきた者はいない。
しかし、それは時折、他に類を見ない、
とても強い「絆」で結ばれることがある。
その「絆」が一生涯続くことも珍しくないだろう。
なんの共通項も持たない者たちが、果たして何を通して絆を深めるのか。
それは、バットで結ばれたのではない。
ましては、売り上げ目標を達成した一体感で結ばれたわけでもない。
彼ら彼女たちが手を繋いだ場所の名前は、
一つ一つの体験の中でさらけ出した「本当の自分自身」と、
それを受け入れて、
本当の自分自身でぶつかってきてくれた相手への、
「絶対的な信頼」と「圧倒的な感謝」だ。
その場所を起点とした活動は、最高に楽しい営みとなるはずだ。
コーヒーを沸かして、それぞれ持ち寄ったマグカップでそれを片手に談笑する。
みんなでコンビニに夕飯を買いに行く。
カップラーメンをすする。
絵を描いてみる。
掃除をする。
本を紹介し合う。
年に一度、旅行に行く。
特別ではないものが、特別になる。
憂鬱な強風の1日が、みんなといると特別な1ページになる。
僕らに名前はない。
「友だち」「職場の仲間」「サークル」
世間一般に流通している言葉では、包括できないものだ。
「もはや家族みたい」と、大学生1年生の子が言った。
短絡的に選んだのではない。もっとも近しい表現を彼女なりに選んだのだ。
「特別な場所」だと、周囲に認めてもらう必要はまったくない。
「特別な場所」だと、僕らが自分自身で思えることが大切なのだ。
3年B組に、いたいのではない。
このメンバーと、いたい。
なぜ、このメンバーなのか。
選んだわけでもない。
狙ったわけでもない。
ただ、自分のいる場所で出会う人たちと仲良くなりたかっただけだ。
たくさんのいいところを発見して、たくさんのダメなところを言い合った。
痛いなぁ。辛いなぁ。ムカつくなぁ。
こんなに「人とかかわる」って面倒くさいのか。
正解はない。
「本当の自分を認めること」だ。
いつでも、そこからだった。
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