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The Ropes~平成の常盤荘~代表三輪亮介のブログです。 ここでは日常で切り取った一枚の写真をもとに 日々の想いなどをつづりたいと思います。
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  • 04/21/13:51

08.20.23:06

自分のことのように眺める景色があるように

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今年も、「わくドキ」の季節がやってきた。児童センターが主催する、小学生対象の夏の大人気イベント、「夜のわくわくドキドキ体験」だ。若い18〜20代前半のスタッフと、カレー作り・レクリエーション・肝試しなどを一緒にやる。

3年前、職員主導から、企画から運営まで青年スタッフ主導に移行した。
当日だけヘルプで若者が「参加」するのではなく、事前準備から若者が当事者意識を持って「企画・運営」することで、横のつながりを強化し、企画やコミュニケーションの質を底上げすることを狙っている。
実際、去年の出来は最高の仕上がりを見せた。

18日は、その第3回MTGだった。
各班のTTに基づいて、1つ1つ、実際にシミュレートしてみる。
体系移動のスムース化、ルール説明の明瞭化、備品の最適化など、企画の実現性を高める努力を地道に重ねる。

きっと、そんな景色に、人は集まるのだと思う。

誰かが誰かのために、大切な時間を使って、作ってくれたものがある。
それはもう、誰かのものではなく、僕らのものだ。
よりいいものに、より形あるものに、1人でも多くの人が喜んでくれるものにしていこう。
ほめられたらうれしい。ダメだったらくやしい。
それは、それが僕らのものだからだ。

月を見上げたり、夕陽を見送ったり、
自分のことのように眺める景色があるように、
今、隣にいる仲間を見よう。

僕らもまた、誰かが見ている景色の一つだから。
「きれいだ」と言ってもらえるような景色になろう。

きっと、そんな景色に、人は集まるのだと思う。
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08.17.22:31

オナラケーション

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8月12日。久しぶりに三輪組で集まった。

メンバーは、こーじ&綾子夫妻。うっちー&とねちゃん夫妻。かずくんと俺の6人。
最近、三輪組でLINEを始めて、早速グループトークで日程を決めようとしたんだけど・・・
誰かが日程の話をする度、何かしらのボケが入って、それに誰かがツッコミを入れていると、あっという間に日程の話はどこかに埋もれてしまう。その連続で、結局、こーじの独断で日程が決まる事になった。

こーじ「で、みんな明後日でいいのかな?」みたいな。
一同「え?明後日??まあ、いいけど・・・」みたいな。

こんな不毛なLINEの使い方をしている人がいるだろうか。
それくらい、中身のない、生産性のない、むしろ迷惑な使い方をしていると思う。
とんでもないおもちゃを俺たちは手にしてしまった。

場所は、前回に引き続き、ときわ台の焼肉屋だったんだけど、前回の焼肉屋は出禁になったので、違う焼肉屋で楽しんだ。気付いたら周りのお客さんが1人もいなくなっていた。おそらく、いつも通り、俺たちがうるさすぎたんだろう。このままだと俺たちの行ける店はどんどん少なくなっていくだろう。どうしよう…。

さて、本当に中身のない話しかしてないから、特に書く事もないことに、今、驚いちゃってる。
マジか・・・、みたいな。

あ、一つだけ。

どうやら、奥さんが旦那の前でオナラを我慢しないっていうのは、夫婦円満の秘訣のようです。

オナラによるコミュニケーションをいくつか紹介してみよう。
オナラケーションです。

「にぎりっぺ」
尻に手を当てて、オナラをしたらすぐさま拳を握って、相手の顔の前まで持っていき、素早く手のひらを開く。臭いが逃げないうちに手からリリースするのがポイント。極めて基本的な技の一つ。

「顔面直っぺ」
相手の顔の前にお尻を持っていき、直にオナラをしてしまうという禁じ手。あまりに露骨なので、顔の前にお尻を持っていくとすぐに回避されてしまうため、ソファなどに一緒に座っているときなど、何か用事があって相手の前に立ったタイミングでしてしまうのがベター。

「うつしっぺ」
相手のお尻に自分のお尻をくっつけてオナラをすることで、さも、相手がオナラをしたかのように罪を被せる荒技。ただし、適用範囲が限られるため、マッサージなど、相手のお尻の上に座っているタイミングでしてしまうのが基本。かなりの上級技。

ぜひ、お試しください。

08.16.18:18

30歳の答え合わせ

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ずいぶん長いあいだ、文字を書かなかった。
いろんなことがあったし、いろいろな人に会ったのだけれど、
そこで感じたものを誰かに伝えるには、共感が得難いものばかりだった。
 
30歳になって変わったことを、書こう。
 
時を超えて、同じ場所に辿り着く人がいるということ。
 
僕はよく直感で動いているように見られがちだけど、どちらかと言えば、論理的で合理的な方で、表向きは最大公約数の評価を求めて生きてきた気がする。
先天的に持ち得なかったものは、努力で補ってきたし、コミュニティーの中での評価項目に関してはかなり意欲的に取り組んできた。
しかし、一方で、局地的にマイノリティーなものが、大局的に見ればメジャーなものになり得るということも、かなり幼い頃から理解していた。それは普遍的な美感と、流動的な美感に対してもそうだ。
それらの見通しを持って、最大公約数の評価を求めたかというと、そうではない。
ある「景色」が僕にはぼんやり見えていて、その景色へ近づくための決断は、必ずしも、最大公約数の評価とイコールで結ばれるものではなかった。そしてその選択と決断は、論理的で合理的なものとは程遠い、かなり直感力に依拠したものだった。
なりたい大人像というものが、僕にはいつからか「景色」のようにぼんやりと見えていて、それは人生設計とはまた違っていて、口語的に言えば、主に人間の所作に表出する、「存在感」や「オーラ」と呼ばれるものに近しかったように思う。

このように、今の自分は、およそ10歳のときから、とても意識的に意図的にデザインしてきた20年の結果だと言える。表向きは他人からの相対評価を気にしつつも、裏では自分自身の絶対評価でたどり着いた「眼」を持つことになったのだ。
30歳になって、そのぼんやりとした景色は、僕の「眼」の中で確かな輪郭を持ち始めた。
そして、心のどこかで僕は「やっぱりこの景色だった」という妙な納得をしてしまっている。それは、ずいぶん前から感じている「予感」によるものだ。
自分の意志で決めたことも、努力で積み上げてきたものも、もしかしたら、すべては前から決まっていたのではないか。強い何かに引っ張られるように。そんな気さえしてくる。
 
もちろん、その「景色」の価値は、自分自身にしかわからないもので、他人にわかってもらわなくたっていいと思っていた。下手をしたら、その「景色」を、見ることもできない人だっているだろう。
そう、2つ必要なのだ。
景色を見ることのできる「眼」と、その景色を美しいと感じることのできる「心」。
だから、この先も、これを誰かと共有することはないと思っていた。
 
しかし、時を超えて同じ場所にたどり着いた奴がいた。
 
そいつは、僕とは正反対の道を歩いてきた。最大公約数の評価なんか全く気にすることもなく、道行く中で遭遇するほとんどのことを、自分を起点に考え、選択と決断をすべて「直感」に頼ってきた奴だ。
演繹的に見れば、そのプロセスは非論理的で非合理的なものばかりなのに、幾つかの結論から帰納的に見れば、それは一本のロジックが通っていることがわかる。しかし、そのロジックは世間一般に流通しているものではなく、あくまで一個人の経験則から来る、一個人の私的ロジックとしか言い様がない。
それを支えているのは、直感による選択と決断の速さが生み出した、膨大な経験値に他ならない。同年代と比較すると、かなり多くの実験データをそいつは保有しているだろう。
その膨大な失敗と成功の積み重ねが、その直感力をより鋭利に研ぎ澄まし、また、精度を上げたその力に対する信頼を、ますます確かなものにしていった。
そこで育まれた能力の一つが、物事を判別する「眼」だろう。
そして、その「眼」によってはじき出された多くの答えの傾向から、経験的にそいつは、何が「美しい」かを知ったのだ。いや、正確に言うならば、予感していたものに確信を得たと言った方がいいだろうか。
 
30歳になったとき、そいつはその「景色」を見ることのできる「眼」を持っていた。
そして、その景色を2人とも「きれいだ」と思ったのだ。
 
あのとき僕らは、確かに反対方向に歩いて行った。
別々の道を歩いたはずだ。あまりにも違うものを見てきたし、触れてきたはずだ。
感じたものさえ違かったろう。それは順番であり、種類であり、大きさであり、そのときそのときの答えだった。でも、すべてが配合されて出来上がったものは、信じがたいことだが、限りなく同質に近いものだった。
たどり着いた場所は、同じ山の、同じ山頂だった。
僕らは、「きれいだ」と、ほぼ同時に呟いたのだ。
 
そして、僕らは滔々とその理由を話し始めた。
互いが見てきた景色や、触れてきたもの、出会いと別れ…。
 
このように、
 
僕の30歳は、ひとつの答え合わせから始まっている。

08.15.23:26

風立ちぬ★★★★☆

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金曜ロードショーのジブリ特集を見て、無性に胸踊らされ、公開初日に観に行ってしまった。何より、宮崎駿監督が今何を描くのかが、僕にとってとても興味のあることだった。
 
描きたかったのは何か

物語の舞台は、戦争による経済不況、関東大震災など、現在の東日本大震災後の日本と同じような、激流の時代の中に設定されているけれど、この映画はその凄惨さや、悲惨さを描いてはいない。なぜか。
それは、この物語が「主人公の眼から」映し出されているからだ。
あのような困難な時代でも、純粋で、夢を持ち、恋をし、生きることにひたむきであった男がいたということ。その男の眼から見る世界は、決して絶望の色では染まっていなかったということ。この一人の男の生き方こそが、宮崎駿監督が伝えたかったものではないだろうか。
この作品は、今の僕らに「生きる」という命題を、とても静かに提示してくれている。そして、この時代に生きる僕らに、一抹の勇気を灯そうとしたのだと思う。
どの時代でも、意志を持って生きている人がいる。あの時代でも、この時代でも。
 
たどり着いたのは「愛」だった

何よりも僕が個人的に感銘を受けたのは、70を過ぎた宮崎監督が、今描いたものが、「愛」だったということ。年をとると、愛を語るのに慎重になる。物語を書く人であれば、誰しもそうなる。
けど、この作品は、「愛を描こう」という力の入れ方ではなく、人の生きる時間の中にそっと「愛を添えている」。物語の中に当たり前に愛があり、それを力強く見つめている。
それは、70を過ぎた宮崎監督の目から見た愛であり、僕らがいつかたどり着くであろうと予感させる、とても確かな愛だと思うのだ。
 
他にも、2人のただただ歩くシーンに情緒を感じたり、女性客の共感の前に立ち塞がる壁とか、地震のアニメーションとか、色々感じるものはあったけど、総じて言えば、圧巻!・・・違うな。秀逸!・・・違うな。
終幕のあと、幾許かの沈黙のあと、静かに拍手を送りたくなるような、そんな映画!
これだっ!!
ってか、もう、余っ裕の映画なんです!
是非、劇場でご覧ください♪

05.08.16:28

黄昏れチャーハン

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GW終盤、仕事明けですぐに名古屋へ車を走らせた。小学校時代の悪友の結婚式のためだ。
「悪友」と呼ぶにはいくつか理由がある。
僕らのクラスは小学校5年生のときに「学級崩壊」をしたのだけれど、その中心にいたのが他でもない彼だった。背が高くて、腕っ節も強いものだから、しょっちゅう問題を引き起こしていた。その震源地に僕も含まれていたわけだけど、周りは僕を「頭脳犯」、彼を「実行犯」と呼んだ。僕らは共犯であり、その延長からか、今は「悪友」という言葉がしっくりくるような気がしている。
不良街道まっしぐらだと思われていた彼だったけど、小学校のとき、時折、授業中、「お経」を出して読んでいることがあった。ウケを狙っているのか、ふざけているのか、彼は「俺、将来、坊さんになる」と公言していた。誰一人そんなことは信じていなかったのだけれど、19年後の今、彼は坊さんとして、婿養子に入ることになった。
いつも1人だけ次元が違うのは、あの頃も今も変わっていない。

小学5年生のある放課後、夕暮れの教室で友だちとダベっていると、ベランダ付近の友だちが騒ぎ出した。
「やべぇ!校庭で竹川がやべぇことになってる!!」
何事かとベランダから身を乗り出して見ると、校庭のど真ん中で、隣のクラスの男子十数名が彼を取り囲んでいた。円の中心には、隣のクラスの大将と彼。一触即発の雰囲気だった。
僕はすぐさま校庭に下りていった。喧嘩を止めるためなんかじゃない。彼に加勢するためだ。僕らのクラスの男子はもうほとんど帰ってしまっている。勝ち目はない。けど、彼一人やられるのをただ見ているわけにもいかなかった。
現場についてみると、そこは昔の拳闘場さながらの雰囲気だった。リングの上の2人を観客達がはやし立てている。ギャラリーのほとんどは隣のクラスの男子。完全アウェーでの試合のようだった。
しかし彼は野次には一切動じず、じっと敵を睨みつけていた。隣のクラスの大将は、ふざけた顔をして、彼に近づいたり離れたりして挑発している。それを何度も繰り返す。本当にボクサーの試合みたいだった。僕は、彼にヤジを飛ばすギャラリーを睨みつけることしかできなかった。とても円の中には入っていけない。無力だった。どうする、どうする・・・。

何度目だったろうか。
敵の大将が、彼に近づいたり離れたりする動きを繰り返していた、その何度目か。
もう一度、彼の懐に入ったそのときだった。
バチーーーーーンと、打撃音が空に甲高く響き渡った。
同時に、周囲のヤジも一瞬で止まった。
気付くと、敵の大将が目を押さえながら、地面で悶え苦しんでいた。
彼の左ストレートが、敵の大将の左目を打ち抜いたのだ。
一瞬の沈黙のあと、今度は敵の大将の悲痛の叫び声が、放課後の校庭を覆った。
その痛み方は尋常ではなく、失明したのではないかと疑うほどだった。何にしろ、ただでは済まなかったはずだ。とんでもないことになってしまったと思った。
ゆっくりと、ランドセルを背負って帰ろうとする彼に、野次馬達は攻撃の手を緩めなかった。勝負はもう着いたのに、今度は「やり過ぎだ、やり過ぎだ」と彼を罵った。僕はなんだか悔しくて悔しくて、まるでボクサーのトレーナーみたいに、彼の肩を抱きながら、刺々しい野次馬のアーチをくぐっていった。

帰り道、何を喋るでもなく、彼の家まで送った。
僕の家は反対方向だったから、彼の家の前まで来ると、すぐに踵を返そうとしたのだけど、
「寄ってけよ」と彼が言うので、初めて彼の家に上がることになった。時刻は17時近くになっていたが、家には誰もいなかった。仕事だろうか。彼の部屋に案内されると、「腹減ったな、チャーハン食べるか?」と彼が言った。
その会話が小学生同士で交わされるものとは、あまりにもかけ離れていたものだから、僕は半ば、戸惑いとも頷きとも取れるようなリアクションしかできなかった。
しばらくすると、少し焦げ目のついた卵チャーハンがお皿に盛られてやってきた。恐る恐る食べてみる。
「うめー!!」
そうやって彼の方を見ると、やっと彼も笑った。

ランドセルを学校に置いたままだったので、僕の帰り道は遠かった。
彼は学校まで自転車で送ってやると言い、2人乗りで学校の正門まで向かった。
背の低い僕には、背の高い彼の背中しか見えなかった。言葉は特になかった。
景色はどうだったのだろう。
ただ思い出すのは、あの時の彼の作ってくれた卵チャーハンと、彼の広い背中だ。
それが黄昏れの色に染まっている光景が、いつまでも僕の中に残っている。

披露宴では、余興とビデオメッセージ編集を担当させてもらった関係で、彼の他の友だちの彼に対する印象を聞く事ができた。きっと、僕と同じように言葉にならない光景を受け取った人たちが何人もいるのだろう。

今さらだけど、「サンキュ」と呟く。
これからも、よろしく。
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