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The Ropes~平成の常盤荘~代表三輪亮介のブログです。 ここでは日常で切り取った一枚の写真をもとに 日々の想いなどをつづりたいと思います。
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  • 04/20/21:02

02.23.04:44

そんなふうに歌ってみたいな


たくさん考えて たくさん直して

こんなふうに 歌うようになった

 
ハミングを重ねながら 駅に向かう人も増えたけど

僕の歌じゃ キッチンで口ずさめない人もいるみたい

君の朝に合うように 今度は歌えるかな

 
狭い路地裏で道を塞ぐ 押し売りみたいじゃなくて

洗いたての街に届けられた 柔らかい日差しのように 

歌いたい
 

 
届きますように 響きますように

こんなふうに 歌うようになった


 
マグカップを片手に テーブルを囲む人も増えたけど

僕の歌じゃ お風呂で口ずさめない人もいるみたい 

君の夜に合うように 今度は歌えるかな


 
狭い路地裏で道を塞ぐ 押し売りみたいじゃなくて

ほっぺに残った一雫を乾かす 帰り道のように

歌いたい
 
 


たくさん考えて たくさん直して

そんなふうに 歌ってみたいな
 


みんなが歌ってくれるような歌を書くのではなく
 

みんなが歌ってくれるように 歌えるように

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02.21.05:01

3年B組に、いたいのではない。

「人とかかわる」とは、一体どういうことだろうか。


正解はない。


それぞれの定義が存在するし、自分に合った定義に人は集うだろう。

「類は友を呼ぶ」という言葉が、それを端的に表している。

 


「組織」は、わかりやすい形で僕らの前にある。

「野球部」は「野球をする団体」だし、「眼鏡屋」は「メガネを売る団体」だ。

 

一方、目的の見えづらい「組織」というものがある。


たとえば、「学校のクラス」は、「ただ同じ教室になっただけの団体」だ。

体育で野球をすることもあるけど、野球をする団体ではない。

文化祭で演劇をすることもあるけど、誰一人、演劇をするために入ってきた者はいない。

 

しかし、それは時折、他に類を見ない、

とても強い「絆」で結ばれることがある。

その「絆」が一生涯続くことも珍しくないだろう。

なんの共通項も持たない者たちが、果たして何を通して絆を深めるのか。

 

それは、バットで結ばれたのではない。

ましては、売り上げ目標を達成した一体感で結ばれたわけでもない。


彼ら彼女たちが手を繋いだ場所の名前は、


一つ一つの体験の中でさらけ出した「本当の自分自身」と、

それを受け入れて、

本当の自分自身でぶつかってきてくれた相手への、

「絶対的な信頼」と「圧倒的な感謝」だ。

 


その場所を起点とした活動は、最高に楽しい営みとなるはずだ。


コーヒーを沸かして、それぞれ持ち寄ったマグカップでそれを片手に談笑する。


みんなでコンビニに夕飯を買いに行く。

カップラーメンをすする。


絵を描いてみる。

掃除をする。

本を紹介し合う。

年に一度、旅行に行く。


特別ではないものが、特別になる。

憂鬱な強風の1日が、みんなといると特別な1ページになる。



 

僕らに名前はない。


「友だち」「職場の仲間」「サークル」


世間一般に流通している言葉では、包括できないものだ。


「もはや家族みたい」と、大学生1年生の子が言った。

短絡的に選んだのではない。もっとも近しい表現を彼女なりに選んだのだ。


「特別な場所」だと、周囲に認めてもらう必要はまったくない。

「特別な場所」だと、僕らが自分自身で思えることが大切なのだ。



 

3B組に、いたいのではない。

このメンバーと、いたい。



 

なぜ、このメンバーなのか。

選んだわけでもない。

狙ったわけでもない。

ただ、自分のいる場所で出会う人たちと仲良くなりたかっただけだ。

たくさんのいいところを発見して、たくさんのダメなところを言い合った。

 

痛いなぁ。辛いなぁ。ムカつくなぁ。

こんなに「人とかかわる」って面倒くさいのか。


正解はない。




「本当の自分を認めること」だ。




いつでも、そこからだった。

02.19.05:27

「想いは届いただろうか」

「想いは届いただろうか」


 

いつもそればかり思っている。

他に思うことはない。

 

野田市岩名中学校で毎年行われている、「社会人に学ぶ(中1対象)」の授業に、講師として呼ばれるようになって数年が経つ。

ありがたいとことに、毎年、丁寧に生徒一人一人の「感想文」を添えてお礼状を送ってくださる。

僕にとってその「感想文」が、授業の出来がどうだったかの「答え合わせ」の役割を担っている。語られている言葉が定型文の域を出なければ、残念ながら僕の授業はその子の中に残らなかったのだろう。逆に、語る言葉は持たなくても、その筆跡や字足らずの中に、想いが溢れていることもある。

もっとも多い感想文の形は、僕が投げた言葉の中で、特に印象に残ったものを引用しているものだ。その言葉を聞いた瞬間から、日々の生活に変化があったというものだ。そこには様々な「残響」が見て取れる。


そして、僕は、ちょっと嬉しい音で、手紙をしまう。


想いが届いた音だ。



 

当日の教室を目の前に再現してみる。


投げかける言葉が加速していく。熱を帯びていく。

用意していた言葉を音読しても、伝わらない。

人が話す言葉には血が通っていなくてはならない。

なぜなら、活字を読むだけでは手に入れられない「何か」がそこに在るからだ。


 

彼ら彼女たちの一人も、僕から一時も目を逸らさない。

「届け」「響け」と幾つもボールを投げる。

多すぎても、少なすぎてもいけない。

コーヒーに注ぐミルクみたいに、見合った量を。



 

響き合って、混ざり合う。

空に描かれた雲を見上げながら

僕は、もっと嬉しい音で、自転車を漕ぐ。

01.06.17:49

メイキングポスター


毎年、柏市児童センターミュージカルのポスターを描かせてもらっています。
今回は、去年の作品「はじまりの青い鳥〜未来から来た勇者たち〜」のメイキングを載せたいと思います。

つづきはこちら

01.02.09:01

山の向こうのあの人に

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