11.22.19:59
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08.05.03:34
20年間のクラスメイト
20年間のクラスメイト
今日、小学校からの友人の結婚式に、逗子まで行ってきた。
「海が見える場所」を選んだのは彼女だった。
昔から負けん気の強い女で、人一倍努力家で、背伸びをしてケンカをしては、よく泣いていた。
前へ、前へ。一刻も早く、大人になりたいようだった。
机を並べてバカ話をしていた彼女が、ウェディングドレスに身を包んだ姿を見ていると、一瞬タイムスリップをした感覚に陥った。小学5年生の僕が、今の彼女を見ているような感じ。そんな空想を支えていたのは、同じく今日、円卓を囲んでいた同窓生達の存在と、何より、当時のクラス担任の、「先生」の存在だった。場所と時代は違えど、僕らは20年前もこうやって一緒に机を並べて、先生の話に耳を傾けていた。
会場には当然ながら、新郎新婦の職場や、地元、学生時代の仲間たちもいるわけで、参加者はそれぞれに、新郎新婦の時代時代を切り取った中で、ある時間を共に過ごしてきた人たちだ。
中でも、新郎の友人代表の言葉が印象的だった。決して流暢に喋るわけではなかったけど、言葉の中には、新郎という人間を理解して、大切に思っている友だちの「愛」を感じた。ありふれたエピソードの中に、その人の細やかな変化をきちんと感じ取っている親友の「目」。親友だから語れる日々が、そこにはあった。
新婦側は、やはり最後の両親に宛てた手紙が印象的だった。内容も素晴らしかったけど、僕は彼女の声に涙腺が緩んだ。彼女の朗読は、昔から簡潔で卒なく読む、まあ、いわゆる棒読みなのだけど、それは照れ隠しも多分にあるわけで、自分の感情を相手に知られるのを避けようとする、一種の防衛本能が働いているのだとも言える。それが国語の教科書だったらその策も奏功するのだろうけれど、今日の手紙には彼女の素直な感情が満ち溢れているわけで…。それがフラットな声の間から、ときおり高く、ときおり低く、零れ落ちる。その度に、僕らも少し泣きそうになった。
それは、とても小さなこと。式と披露宴を一緒に行ったり、撮影に応える表情、一点物のウェディングドレス、カップの持ち方、会釈の仕方、そのひとつひとつに「彼女らしさ」を感じられること。それを僕一人じゃなくて、隣にいるクラスメイトが、今も、うんうんと頷いてくれること。
僕らは、20年前のクラスメイトではなく、たぶん、20年間、クラスメイトだった。
僕は先生に尋ねた。
「先生、僕ら、変わりましたか?」
先生が言った。
「きっと、私が知らない、君達が過ごした時間があって、その中で君たちは成長をしてきたのだと思うけど、
こうやって話している姿を見ていると、何も変わらないよ」
おめでとう。
これからも、よろしく。
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