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03.10.04:54
いつか、つながることは「知っている」
2015年2月14日(日)は、旧友の結婚式だった。
彼女とは小学校5年生から、20年来の友だちだ。
特別な友だちだ。
帰国子女だった彼女だったけど、幼い頃の僕は、彼女の語学の才能にはあまり興味関心はなかったように思う。ただ、「明るい(うるさい)女子」という印象。その持ち前の明るさで、転校生だった彼女は実にたくさんの友だちを作っていった。もちろん、その裏には、彼女なりの悩みや、苦労も多分にあったと思うのだけれど、それを感じさせない強さが、彼女にはあった。
いつの間にか、男女グループの中に僕も彼女もいて、僕のコアの時間の中には、常に彼女の存在があった。
中学校に上がると、小学校の仲間との関係も薄くなっていった一方、彼女だけはクラスも同じ、席も隣になることが多く、実際、中学校時代のあまり知られていない僕の横顔を、一番多く見ていたのは彼女に違いない。
やさしい人といると、やさしくなるように、
彼女といると、他人のことを自分のことのように思える自分になれる。
高校に上がると、彼女との距離は一気に縮まっていく。
同窓会をきっかけに、小学校のクラスの仲間が頻繁に集まるようになったことに加えて、彼女が僕の家の近所に引っ越してきたこともあり、夜な夜な会っては、互いの恋愛相談をしていたような気がする。
彼女の一番の魅力は、「人のことを、自分のことのように感じることのできる心」だ。
僕の恋愛は、とにかく一途で、不変の片想いだった。他人からすれば、融通の利かない単なる初恋の退屈話だったに違いない。それでも、彼女は僕の進展のない恋愛話を、自分のことのように聞いてくれた。それに呼応するように、僕も彼女の恋愛話に耳を傾けた。
やさしい人といると、やさしくなるように、
彼女といると、他人のことを自分のことのように思える自分になれる。
僕らのグループは思い出を重ねた。
勝浦への旅行、花火、成人式、祭り・・・
特別なイベントを並べるよりも、圧倒的に日常で会うことの方が多かった。
それは多くの人が想像するような、小学校時代の友達との関係では決してない。
思い出話を重ねるのではなく、新しい思い出をどんどん作る、現在進行形の友だちだ。泣きじゃくるようなケンカも、夜通し話し合いをしたことも、両手じゃ収まらない。それでも、盤石な歴史に裏付けられていた僕らの友情が切れることはなかった。
そこに最初に距離を置いたのが、僕だった。
2005年の夏だ。
大学での出会いと経験が、僕の価値観を激しく変えていった。
「衝突」というより、「噛み合わない」といったことが多くなった。
冷静な僕にとって、直情的な彼女が、いつもその筆頭に躍り出た。
「今の僕の居場所はここじゃない」そんなふうに思えた。
大学での経験は、仲間のために魂を燃やす時間だった。互いに厳しさを与えながら、絶妙の思いやりを持って、走る。そこには短い時間で築き上げる「信頼」が必要だった。
それは、長い時間が自然と築き上げていた「信頼」の種類とは違うものだったように思う。
いつか、つながることは「知っている」
結局、これが解決した明確な時期はない。
20代後半の成長、「寛容」が、僕らの関係をアップデートしてくれたように感じる。
小学校の延長で関係を保てたのは、高校までで、それ以降の僕らの人格形成は非常に多種多様だ。30代まで関係性を保てるグループは希少だ。
曲がりなりに、ぶつかりながら、もがきながら。
うん、そう。
がむしゃらに、泣きながら、もう嫌だって思いながら。
それでも一緒にいる意味ってあるのかなって、何回も思いながら。
自分の居場所を探しながら。
旅に出ては、戻り。
不恰好に重なり合って。
格好悪い自分に嫌気を差しながら。
何度も夜の帰り道を歩いて。
何度も集まり。
泣いて、笑って。
今も、泣いて、笑って。
僕らは、今の僕らの形になった。
分かり合えない時間があってもいい。むしろ、分かり合えないことの方が多い。
つながらない時間があってもいい。それぞれの旅をすればいい。
いつか、つながることは「知っている」。
それで十分だ。
彼女は、結婚をしてフランスに行く。
ドアを出て3分の距離じゃない。
淋しさとか、切なさとか、心配とか、いろいろあるけど。
いつか、つながることは「知っている」。
2015年2月14日(土)。
新郎の家族と会うと、いろんなことが吹き飛んでいった。
彼女がフランスでたくさん笑っている姿が想像できた。きっと大変なこともある。
でも、持ち前の明るい(うるさい)性格で、たくさんの人たちと笑い合うに違いない。そして、彼がいれば大丈夫。そんな確信めいたものがあった。
本当に、おめでとう。
あらゆる意味で、特別な友だちへ。
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